戯曲家の平田オリザは「ほんとうの自分なんてない」と書いています。よく考えてみるとこのことばを証拠づけることがらが日本語にはたくさんあります。1人称の数がきわだって多く、ひとつひとつが特定の社会空間で使われる仮面(ペルソナ)であって、素顔の自分が存在しないのではないかと思われます。インドヨーロッパ語族の祖語を見ても1人称はEGO一つです。どうして英語では I saw myself in the mirrorと簡単に言えるのに、日本語では「?私は鏡で自分を見た」が翻訳調でしっくりしないのか、という問題も「自分」が客体として存在しにくいからではないかと思われます。その他、素っ裸の「自分」がないことを証拠づけるものとして、私が90年代から考えてきた「ウチ人称」という概念を使って、自称詞、他称詞、授受動詞、受け身構文、助詞の選択など、さまざまな角度から見ていきたいと思います。