海外留学体験談

海外での生活ってどんな感じなんだろう?
学校は?ホストファミリーとうまく生活できるかな?
実際に留学を経験してきた先輩に現地での体験談を寄せてもらいました。
これから留学をお考えの方、必見です!

海外留学体験談


アメリカのMedical University of South Carolina 校に留学した笠間昭子さんの体験談です。

国名 アメリカ合衆国
学校名 Medical University of South Carolina 校
留学期間

1974年8月〜1977年3月

プログラム名 Medivcal Record Administaration     
取得資格 B.S. Registered Record Administrator    
種類 私費留学     
留学の動機は何ですか?
仕事上の必要性。英文文献、在日米軍病院実地研修のみでは、米国での病院内でのcomputerを使ったカルテ(病歴・診療記録)管理実態をつかむには限界があったため。
情報収集はどのようにしましたか。利用した資料、機関などはありますか?また、留学先をどのように決めましたか?
American Medical Record Association発行の機関誌Medical Record Newsより学士入学、編入可能コースを選び該当した大学6校に直接手紙を出しました。東京赤坂にあったアメリカ文化センターに行って資料とアドバイスを授かりました。 (うち2校は外国人あるいは定員外で断られました)授業料が安い、プログラムの責任教官がAssociation(協会)役員をしていたこと、役員をしていれば最新動向、展望を聞くことができるメリットがあるという理由。
留学前の準備期間はどれくらいかかりましたか。また、どのような手続きが必要でしたか?
編入に必要な単位の為に東京の母校(大学学部事務に)から英文での履修証明、金沢の母校(高校)に英文卒業証明書を依頼、推薦人3名を違った分野にて確保。大学からの入学許可はスムーズに行きましたが、I-20ビザに必要な英語テストが間に合わなかった。これがタイムロスを来しました。 受験機会がなく、1年間延期 (フルブライト留学相談部に英語テストTOEFL、上智大学主催テスト紹介を受けるも受験期限と入学手続き日が合わず、1年間願書保留してもらった) 。
奨学金の有無やその申請手続きについてについて教えてください。(必要な書類、申請資格、時期など)
該当なし。
現地での生活はどうでしたか?(授業の様子、外国人・日本人の割合、その国の学生との交流等
 (40日間)International Student House アメリカ人約10名、世界各国出身50名本番前の夏季期間40日間の首都ワシントンでは英語学校、留学生会館で不自由な会話でも何とか交流  どこでも専門科目の授業は会議(討論)スタイル(基礎、教養は教室、全員同方向にすわる)。本番中の夏季・冬季・春季休暇は寮は完全閉鎖。この時はコミュニティカレッジで専門科目補強(単位を落としたことによる思わぬ出費)YWCAに滞在。 本番大学、卒後実務体験 職場(病院) 日本人学生、日本人職員皆無の環境が幸いしました。医療情報管理という日本になかった分野・実習も新規、授業・食事・専門職見習いなど現地の人々と触れ合わざるを得ず、寡黙さを克服。今もデベート癖が治りません。
宿泊施設は何でしたか?(寮、ホームステイ、アパートなど)また、どのようにして探しましたか?
(ワシントンDC 英語学校滞在 40日間) International Student House (先に行っていた友人が現地ワシントンDCで見つけてくれた) (大学での2年間、学期講義期間中はクラスルームとの距離片道5分ぐらい、学生寮、3食付き ランチも寮で可能) 学生寮;注意すべきは冬・春・夏 授業の無い期間は寮が閉鎖されること (寮閉鎖時(学期休暇中)は 他州にあるコミュニティカレッジで単位補強のためYWCA寮にて滞在、米国人上級生に通学のため車で送迎の親切を受けた。 日本人友人/卒後実務体験時 米国母校先輩&友人とアパート、インターン中病院付属の寮(個室)。車も免許も無かったことが、幸いでした。乗せてもらって仲良く会話できました。

留学の費用はいくらくらいかかりましたか。(生活費、学費、住居費など)また、お金はどのように管理しましたか?(銀行口座の開設、お金の送金方法・管理方法等)

完全に円安、ドル高のときの留学、1年かけて給料からいくばくかを貯金。留学許可をとるためには通帳残高証明必要なので何とか150万円クリア。生活必需品(食料、し好品含む)は日本のスーパーで調達 送料の一番安い郵便小包で送付(安全宅配つき)、学生寮近くの銀行で口座開設、保証人は大学 現金とパーソナルチェックを併用。二年目は親から前借り、帰国後数年かけて返金。
留学中のアルバイトの経験はありますか。また、週何時間くらいで収入はいくらありましたか。
当時は「留学ビザ」は原則アルバイト禁止です。アルバイトは違法、 Practical Training(日本でいうインターン)の時は、しっかり給与をもらいました(病院内、寮及び食堂活用で安上がり)(帰国後は虎ノ門にある米国大使館に出頭微々たる額でしたが税金還付受けました)。
保険・医療についての手続きで分かることを教えてください。
Medical University医療総合大学 学生は、すべてBlue Crossという米国の公的保険に入学手続き時に加入しました。Medical Universityという環境であり、学生医務室医師が風邪、怪我、ノイローゼなどに対応。私はストレスから来た胃痙攣などでお世話になりました。上記保険に加入していたので受診料は無料。今は、クレジットカードや日本の民間生命保険会社などの商品で留学中の病気でも支払ってくれる時代です。
現地での各種相談先を教えてください。
パスポート入りバッグをバス内に置き忘れた時は国際結婚している(日本人、日本語話す)奥さんに、日常生活困りごとはResidence寮父、寮母  ビザ延長などは留学先Program director 大学、学科教師、事務員(米国、日本大使館はアテにならないというか、相手にしてもらえない)
治安はどうでしたか?(居住地、都市部など)
悪いところの方が多い、現地、米国人学生と行動を共にすれば安全だと言われた。 黒人地域、プエルトリコ人地域への単独歩行は危険と言われた (大学キャンパス付近で指を切断された歯学部学生もいた、私の寮の近く) 当時は有色人種、女性への偏見や蔑視が強かった。大学警備員と言え、在日米軍基地勤務経験者の場合は却って要注意であった。
(13) 取得資格について、どのように勉強したか、困難だったことなどをお書きください。
日本びいきの上級生が手とり、足とり、発音、ヒアリング指導してくれた。専門の質問は教師陣が時間外補習。タイプテスト準備は、週末閉室を特別開室して使用可に。レポートは教官がビジネス文体・文法など多方面から添削、ありがたかった。お陰で世界に通じる資格が取れた。 I-538 Practical Training(自国、日本においては提供されていない技術の習得)活用をして専門科目を体得(約8ケ月) ともかく復習に追われっぱなしでした。
インターネット、E-mailの設定や利用方法について教えてください。
1974年〜1977年当時は、存在しませんでした。
帰国後の進路について教えてください。
留学前と同じ職場に復帰。最新のコンピュータ関係の知識の補強のおかげで日本初のシステムを作ることが出き、講師の仕事にも恵まれました。英語を武器にした仕事にも恵まれました。同資格者の国際会議には40年近く所属、発表もしています。
後輩へのアドバイス
日本文化、法律を学んでから留学することを勧めます。 世界史、同時代の世界のできごとを横断的に、歴史上人物の(留学先現地での)正確な発音(例えばミケランジェロはマイケルアンジェラス)、これを身につけることによって、貴方自身を正当に評価してもらえます。 会話力が不充分な時には、特に有効な自己PRだと思います。 「学びたい分野」があれば、日本での状況を理解して、留学に臨むことが人生を豊かにしてくれると思います。




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